今回のテーマは誰かに「必要とされたい」という気持ちについて考えてみようと思う。みんな誰だって「自分は必要とされているのか?」って思ったことあるよね?誰かに喜んでもらおうと思ったり、誰かの役に立とうと思って努力したり。でもさ、それで満足感を得れただろうか?結局のところ自分の存在を確認するために、誰かに必要とされたくて無駄に努力をしてしまっていることが多いんじゃないかな… 職場での自分はどうだろう?「自分らしく」振舞えている?仕事で必要とされたいと思えば、迅速、なおかつ正確に仕事をこなし上司の顔色を伺い、後輩の面倒をみて、取引先に頭を下げる。自分のキャパを遥かに超えて肉体的にも精神的にもギリギリで踏ん張っていたりしない? 恋愛においては、相手の幸せのためなら「何でもしてあげたい」という、ごく普通の感情が湧いてくる。失いたくないという本能が心の奥底に根付いているから 相手にとって必要な人になろうと努力する。でも本心は「してもらいたい」相手にとって自分は「特別な存在になりたい」が本音だろう。 人は、ほぼ2つの本能によって支配されている。「欲望」と「必要性」の両方の2面性を持ち合わせている。喪失感を本能的に避けようと努力を続けていると、いつか自分を見失ってしまい「欲望」が強くなる。「どうして必要とされないのか?」と自分に自信を持てなくなるだろう… 世間には利用する人と必要とする人の二通りの人がいる 利用しようとしている人は、話したい時にだけに寄ってきて、自分の話ばかりを話し、知りたい事だけを聞く。相手に望むことだけを訴え、相手の望みは何なのか知ろうともしない。 一方必要としている人は、まず何より相手の意見を先に聞きたがる。どんな些細な事にも耳を傾けて相手を知ろうと努力をし、側にいつも寄り添ってくれるだろう。尊敬は、態度となって自然と表れる。何気ないしぐさ、言葉遣い、興味や関心など…。 冷静に自分と向き合って考えてみれば、誰かに必要とされる事で満たされるものって何だろう?「否定されずに受け入れてもらうために」「認めてもらうために」「愛してもらうために」こんな考えは捨てて、自分らしく生きることを真剣に考えてみる方がとても大切 自分の幸せや満たされた気持ちは 誰かに必要とされることによってもたらされるものではないよね?家族だったり、友人だったり、パートナーだったり。世界に1人でも自分を必要としてくれる人がいれば十分じゃないかな?そういう人を大切に思い、幸せな気持ちにさせてあげれるよう努力する方が自分の人生において 意味のある事だと思う。欲している人より与えている人の方が輝いているよ。
「必要とされたい」から「必要とする人を見つける」方が大きな価値がある ~発想をかたちに kirakuya web ~ https://kirakuya-web.wixsite.com/blog http://coconala.com/services/438258 http://coconala.com/services/384468