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わたしを離さないで...


わたしを離さないで... 著者:カズオ・イシグロ

日本生まれのイギリスの作家、カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』は、自分がどうやって死ぬことになるのか、つまり、行く末を知っているのに生きなくてはならない(ならなかった)若者たちの物語である。不治の病に冒されているのではない。健康であればあるほどそう遠くない自分の最期がはっきり見えてしまう、そんな不条理な運命のもとに誕生した(させられた)男女の青春を描き、欧米で絶賛を浴びた作品だ。 ストーリーの核となるのは、イギリスの片田舎にあったヘールシャムという施設。外界から切り離されたようなヘールシャムで、“指導官”の教育を受けながら仲間と暮らした日々を、31歳の“介護人”キャシーが振り返る。“介護人”の仕事は“提供者”の世話をすることだが、“提供者”の中にはかつてヘールシャムで生活を共にした友人が何人かいた。その中でも特に忘れ難い2人、ルースとトミーについての思い出をキャシーは詳細に語る。いつも微妙に牽制し合い、心の中に小さな貸し借りを抱えていたルースとの友情、ルースの恋人ではあったけれど、昔から一番の相談相手だったトミーへの想い……。 89年発表の名作『日の名残り』と同様、著者はセルフコントロールに長けた人物を語り手に配し、静かに物語をつむいでゆく。思春期の少女同士のさやあてなど、読者の経験と重なるようなエピソードを丁寧に描きつつ、背後に存在するおぞましい世界の輪郭を、いくつかの暗示と共にゆっくりと浮かび上がらせる。

介護人、提供者、という言葉の謎とともに、彼らの“行く末”がどんなものなのかは前半で明らかにされるのだが、自分たちの人生から〈希望にあふれた未来〉があらかじめ失われているという事実を、キャシーたちは施されてきた教育によっておぼろげながら知っている。しかし、人間は生きている限り希望を求める生き物だ。キャシーは回想の中で〈突然、すべての雲が取り払われ〉〈世界の手触りが優しくなり〉〈飛び跳ねたくなる自分を必死に抑えた〉ほど心が躍った出来事は、ある大切なもの……「わたしを離さないで」という曲が収録されたミュージックテープ……をトミーと一緒に探すことを決めた瞬間だったと述べるが、それは、探すという行為が彼女に、持つことを許されていない希望の存在を強く感じさせたからだろう。だからこそ、テープを見つけた瞬間、キャシーは〈複雑な、わっと泣き出しそうな〉気持ちになってしまうのだが、感情をむき出しにすることを嫌うキャシーの密かな動揺に、読み手の胸はふさがれる。心の堤防を決壊させないよう、常に細心の注意をはらって生きなければならない彼らの運命の残酷さ、いたましさに言葉を失い、強い哀しみを感じずにはいられないのだ。 夢や希望を持って生きることのできない人間の生を描くことで、人間らしさとはなにか、という「問い続けられてきた問い」を、カズオ・イシグロはこの小説で堂々と提示してみせる。肉体以外の全てを奪われ続けてきたキャシーが最後のページで流す涙が、自分を哀れむためのものでないということは、たぶんその答えのひとつなのだと、私は思う...


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